「スケルトン・キー」(道尾秀介)
体の中に巣食う邪悪なものを開放するための幼い悪戯は爆破、放火、暴走と尋常ではない。
毒虫でありながら周囲の尊敬と崇拝を集める幼い「僕」の「悪童日記」。
印象に残った言葉は「光に近づけば近づくほど影は大きくなる」というもの。影絵は光源からの距離で像の大きさをコントロールする。光源に限りなく近づけばスクリーンは闇に閉ざされる。光を求めすぎると影も大きくなる。
サイコパスの「僕」が主人公の物語。
サイコパスとは感情の欠如、良心の欠如、冷淡で共感しない等の特徴を持つ精神病質とされている。
感情とは何か。
感情は内臓の状態と、その状態変化が生じた原因の推定の2つの要素によって決まるということらしい。
内臓の状態を知らせる自律神経反応を脳が理解することと、その反応が生じた原因の推定によって感情が決定される。
感情の欠如、例えば恐怖という感情を感じないメリットとデメリットはどうだろうか。
メリットとしては見知らぬ人や新しい環境に対して恐怖心を持つことを新規性恐怖心というが、オキシトシンはこのような新規性恐怖心を低下させ、社会性を改善することができる。
デメリットとしては危険な状態にあっても恐怖の感情が発動しないと危険な状態に対するリスクは高まる。
主人公の「僕」はそのデメリットとメリットに置き換えて収入を得ている。それが生まれつきの資質、つまり遺伝なのか、生育環境によって後天的に獲得した資質なのかも謎が暴露されていく中で示唆されている。
感情が情動を生み出すという機序で血圧、心拍、呼吸、表情の変化などが現れることになる。
ところで逆の機序もありうるともいわれている。例えば笑顔を作ることによって幸福感という感情を獲得する、呼吸を深くすることによってリラックスするなど。
「僕」が薬で心拍をコントロールすることによって感情をコントロールすることを試みるというのがこの小説の中で描かれているのは、情動から感情にフィードバックする試みだと思われる。
サイコパスの特徴の一つとして共感の欠如が挙げられている。
共感とはミラーニューロンの働きによるらしい。このミラーニューロンの働きが何らかの原因で毀損されると共感性は失われてしまうらしい。
他者の感情に共感できないので、冷淡な対応となる。ただし他者の感情を読み取ることはできるらしい。
シュードネグレクト(疑似無視)のエピソードの中で「僕」は単純な線で描かれた顔に共感を示している。共感性が全く失われたわけではないと思われる「僕」はたして本物のサイコパスなのだろうか。あるいは表情、特に目から感情を共感なしに類推して読み取っただけなのだろうか。
サイコパスの三つ巴の格闘シーンで飛び交う鮮血の飛沫は、残虐さを際立たせている。
この小説では、あらかじめ犯人は「僕」であることが示されている。犯人を捜すのではなく僕が誰なのかを探す、僕は何者なのかを暴いていくという筋立てになっている。推理サスペンスとしては、例外的な構成かもしれない。
「僕」はだれなのか、「僕」は何者なのか、「僕」はどうなるのか。
何が伏線だったのか、何が回収されたのか、一気に読み進んだ1冊だった。
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