続けることが大事、心配は書いてからしたらいい

書く習慣」(いしかわゆき)を読んだ。

ヨガ教室が終わってからタリーズコーヒーでモーニングセットのコーヒーを飲みながら読み終えた。お代わりのコーヒーも頼んで一気に読み終えた。

読みたいことを書けばいいという本があったけれど、何が読みたいのか、読みたいことが書けるのかよくわからない自分にとっては、書きたいことを書けばよい、その価値を判断するのは読者だという内容は救われる言葉。かといって無遠慮に言いたいことを書けば自分の正体がばれてしまう。言いたいことの大半は不満や不平のような気がして、それは個別具体的なことなので、その個別具体的な内容に当てはまる不平や不満の対象(上司)から発見されて実生活に悪影響が及ぶのではないかという恐れがある。
例えば上司の言動対する不平不満の感情だけを書いても、なぜそのような感情が惹起されたのか説得力はないだろうから具体的なことを書かないとと思ってしまう。そうするとそれを発見した上司から不利益な扱いを受けてしまうのではないかと恐れてしまう。単に気が小さいだけなのかも知れない自分。

そのあたりはうまくごまかして抽象的に表現する必要がある。そうなると本当の自分の気持ちが十分に表現できなくなってしまうのではないかという懸念がある。
まあ、それは書いてみてから心配すればいいことなのかもしれない。

日常の出来事をネタにする。これもよくわかる。どうやらほとんどの人はそれほどドラマチックな日常を送っているわけではないらしいことには気が付いている。なので、日常の些細な経験をうまく拾い上げて、人生に彩を添えることが文章を書く効用なのかもしれない。そのささやかな彩が人生を豊かにする材料になりそう。

習慣にすることについて、さまざまな工夫が書かれている。とにかく気軽に文章を書く環境を整えることが大切なことのようだ。手書きで気軽に書きつけることのできる手帳なり小型のノートがいつも手元にある状態にしておく癖をつけることを試してみようと思う。
見失わないように管理をしっかりしないといけない。

書くことによって自己理解が深まるという。そういうことも期待したい。一体自分が何者なのかいまだによくわからないでいる。もちろん他人がどのように思っているのかも推測するしかない。どう思われていようとそれは構わないわけだけれど、少なくとも自分が自分を納得できるようになれば、文章を書き続けることにも意味はあるのだと思う。

下手でも、まとまっていなくてもとにかく書き続けることが大切だというメッセージをこの本から受け取った。そしてこうして早速改めて書くことを始めてみた。

書く習慣が続きますように。

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