占いの効用

鬱屈精神科医、占いにすがる

「鬱屈精神科医、占いにすがる」(春日武彦著)を読んだ覚書。

ホット・クール軸とドライ・ウェット軸のマトリックスで4類型に人格を分類、図式化して人間性を独断する上司は部下の人心を掌握していない。
血液型で独断するよりはいくらかマシましかもしれない。

それはともかく、精神医療も占いも、いずれもある図式に現象をあてはめて解釈するという点ではよく似ているのかもしれない。おそらく精神医学のいくつかの潮流はその図式のパターンの違いなのではないだろうか。

その上で、占いと精神医療の類似と相違、精神医療の当事者である著者が自らの職能とは異なる分野に対して持つ蔑視、畏怖、気恥ずかしさ等の複雑な一線を超えるような違和感が綴られる。

「占いは因果律に馴染まない。むしろシンクロニシティーや共振といったものに親和性がある」とネットで語ったのは原宿の占い師だそうだ。

精神医学が過去を解き明かすことを主題とするのに対して、占いが現在や未来を志向するという指摘は、ソシュールの言語学が通時性への志向から共時性への志向へと変化したことと同型ではないかと思った。

人生は反復と相似でできているので、あるパターンを見分けることができれば占いも精神医療も等しく顧客や患者を満足させることができるのではないか。
この著作がエッセイなのか私小説なのか独白なのか正体ははっきりしないが、著者は自らを境界性パーソナル障害に近い心象を持っているとしている。

人生の途上で出現する危機と救いの場面は少年期に集中して4例、青年期に1例挙げられているが、それ以降そういった体験は起こっていないという。

客観的に見れば、何冊もの著作を出版し、精神科医としても成功し、経済的にも社会的にも成功者としてあるような「わたし」の不全感、不安感の根底には阿闍世コンプレックスがあるのではないかと著者は推測している。阿闍世コンプレックスというのは初めて知った概念。母親との葛藤の記憶が占い師の一言で呼び起されて嗚咽を誘ったのではないか。文庫本の帯の惹句の背景の秘密が解き明かされていく。

望みや理想の水準が高ければ高いほど悩みは深くなるのかもしれない。その点自分はそれほど高望みはしていないつもりなので、精神を病むほどに深い絶望や不安を感じることがないのかもしれない。あるいは単に鈍感なだけか。占ってもらうとしたら寿命や金運等の世俗的なことになるのだろう。

「ますかけ」という手相を持っている。手相としては大強運を示唆する良いものらしいのにもかかわらず、幸運のめぐりあわせがあまりにも遅いのではないかと手相占い師に抗議したいところではある。

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