獲物を丸呑みするコモドドラゴンの食事風景に見入ってしまう

無為に過ごす日曜日でした。
朝寝して、朝昼兼用のとんかつ定食を食べた後、満腹でぼーっとしていた。
読みかけの本を読もうとしても集中できず。
夕方からプールで1時間ほど流されて風呂とサウナ。
それ以外は居眠りしたり漫然とネットを見ていた。YouTubeの動画。

ついつい見入ってしまうのは、インドネシアに生息するコモドドラゴンの捕食シーンを撮影したもの。豚やヤギ、鳥に猿などが無残にもコモドドラゴンに丸呑みされる様子を捉えたもの。

コモドドラゴン

嚙まれると毒が回って動けなくなってしまう獲物を追いかけてとどめを刺す。大きな口で頭を咥えて勢いよく振り回す。四肢の骨が折れて飲み込みやすいように彼らなりに調理をしているよう。あるいは獲物を捉えた喜びに打ち震えているのかもしれない。振り回されてズタボロになった獲物は皮膚のやわらかい腹部が裂けて内臓が飛び出してくる。軟らかい内臓をフガフガと息をしながら咀嚼もせずに飲み込んでいく。内臓が少なくなった分だけ飲み込みやすくなった獲物の体をさらに曳ずり回しながらさらに料理を進めていく。毒が回ったとはいえ、内臓が食われてしまったとはいえまだ息のある獲物は最期の咆哮や悲鳴をあげながら、コモドドラゴンに飲み込まれていく。

鈍重そうな体型に似合わず、獲物を追いかけるときに見せる素早い動きにも目を見張る。

コモドドラコンにとってはこの捕食の儀式は祝宴なのだろう。犠牲になる獲物にとっては生贄になる悲劇ではあるけれど、食物連鎖の業なのだ。

食べちゃいたいくらいかわいい、というレトリックは、食と性と暴力が同じ根をもつものではないかという書き出しで始まるのが「性食考」(赤坂憲雄)。

性食考
「食べちゃいたいほど、可愛い。」このあられもない愛の言葉は、〈内なる野生〉の呼び声なのか。食べる/交わる/殺すことに埋もれた不可思議な繋がりとは何なのか。近代を超え、いのちの根源との遭遇をめざす、しなやかにして大胆な知の試み。神話や物語、祭りや儀礼等を読み解き、学問分野を越境してめぐる、魅惑的な思索の旅。

その本の中で印象に残ったのは、日本の昔話と西洋の昔話とで、異類婚姻譚の構造の違いがみられるという話。西洋の異類婚姻譚は元々人間であったものが動物に姿を変え、物語が進行する中で再び人間に戻るという構造が共通しているという。それに対して日本の異類婚姻譚はもともと動物であったものが人間に姿を変え、物語が進行する中で再び動物に戻るという構造を持っているという話。

それからシャチが獲物を捕らえたときに、すぐには食べずに鼻先で突き上げて空中に放り出したりしながらまるで遊んでいるかのように獲物を弄ぶらしい。これも祝祭なのか料理なのか。

料理という行為は殺すことと食べることを断絶させる。

人間もこの食物連鎖の構造から逃れることはできない。

SNSで美味しそうに盛り付けられた料理の写真をアップすると「いいね」がたくさんついたりする。
料理の中身はもともと殺された動物や刈り取られた植物。

食べられる側の動物の死と、食べる側の生の喜びをSNSの「いいね」で盛り上げる。

食べられることによって貢献する「あんぱんまん」、食べて変身する「千と千尋の神隠し」、「遠野物語」やレヴィストロースの議論などを参照しながら、生と性、死、食について人間の存在の深みに踏み入る内容の本だった。

コモドドラゴンの捕食の動画に見入ってしまうのは、食うものの生と性、食われるものの死の様相にひきつけられるのではないかという気がしたとんかつ定食の日曜日。

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