死ぬことの意味

「生物はなぜ死ぬのか」小林武彦著

宇宙の開闢から地球の発生、生命の発生から、細胞の働きについて記述。細胞分裂の機序や遺伝子、DNAの役割など。生物、特に動物の死に方には大きく分けて2つのパターンがある。

一つは食べられて死ぬ死に方。もう一つは食べられなくなって死ぬ死に方。

食べられて死ぬ死に方はサイズの小さな生物に多い。そういった生物は多産多死でも子孫を残せるように進化してきた。

食べられなくなって死ぬ死に方をする生物は比較的サイズの大きい生物に多い。食べられなくなってピンピンコロリの死に方が多いということらしい。

人は、特に日本人の寿命の伸びは顕著で栄養状態と衛生環境の改善によって劇的に伸長した。

フィジカルな面では、細胞レベルに働きかける寿命延長の薬の研究が進んでいる。一方寿命に関係するのはフィジカルな面だけではなく、メンタルな面も重要。

ハダカデバネズミの長寿命の背景には真社会性を獲得した生態が大きく影響している。子育てを社会的に担い、多様性を担保する子育て、教育の体制を作り上げることが翻って寿命の伸長に奏功する。

テーマとしての死の理由は進化の要件とし、変化に対応する多様性の確保のため利他的に生物は死んでいくというマクロ的な視点と、人間の死を恐れる感情は社会性の喪失というふうに解説されている。

死なないAIは高度に複雑さを増していくので警戒する必要があり、利用方法は限定されなければならないとしている。

感想としては細胞レベルの機序と、社会生活レベルでの法則が切り結べ接点がよく理解できなかった。

進化の過程で淘汰されてきたとのことだが社会科学のレベルで考察するべきところが生物学レベルで考察されることとの関連が理解しにくかった。

細胞内でのDNAや核酸、リゾホーム、塩基などの機序も専門的な内容でよく理解できなかった。

なぜ、と問うことが適切なのかどうか。生命現象に理由はあるのか。それは進化の結果であるとするなら理由ではなく原因ではないのか。そんな風にも思った。

死が生物学的にプログラムされた進化の結果だという回答だとすればなぜかという疑問に答えたことになるのかは読む人の問題意識によって異なってくるのではないか。そんな風に感じた。

人が社会的存在であることが、死への恐怖や悲哀と、種の生存戦略とを結節するものであると理解した。

ではハダカデバネズミは死への恐怖や悲哀を感じるのかどうかと疑問。感情が発達してなくて、真社会性のみを獲得した種の生存戦略としての存在なのか。

感情を伴った人の生存戦略は、人が生きるニッチにとって必要な進化だったのかもしれない。

コメント

タイトルとURLをコピーしました