異類婚姻譚の類型

「蛙化」というのがZ世代の流行語になっているらしい。何のことかと調べてみたらどうやら「蛙と王子」の物語からの類推で、それまで好きだった異性から告白されたとたんに嫌いになってしまうという現象をさす言葉らしい。

「蛙と王子」という西洋の異類婚姻譚は異類から人間への変身を帰趨する物語であるので、方向性が異なるのではないかと違和感を持った。

蛙と王子の物語は、西洋の異類婚姻譚の一つであり、具体的には「異形から人間への変身」の類型に属する。この物語は、一般的には「蛙の王子(または王子に変身した蛙)」というキャラクターが、特定の条件や出来事の結果、本来の人間の姿に戻るというプロットを持っている。

例えば、グリム童話の中に登場する「蛙の王子」の物語では、王子が魔法によって蛙の姿に変えられてしまう。そして、主人公の女性が王子との約束や試練を通じて彼を救い、最終的に彼が本来の人間の姿に戻るという展開がある。

これでは人間に復活した元蛙との恋愛が成就する帰趨となり、「蛙化」という流行語の内容と異なる。

では、このそれまで好きだった異性から告白されたとたんに嫌いになってしまうという現象をさす言葉として適切なのはどういった言葉なのだろうか。

つまり変身の方向が逆の物語。人間が異類に変身する物語にはどのようなものがあるか。それこそがこの現象を適切に表現するに違いない。

ところで一般的に西洋と日本で異類婚姻譚の方向性が逆になる傾向が見受けられる。西洋では件の「蛙と王子」のほかに「美女と野獣」「白鳥の湖」「人魚姫」「オデュッセウスの冒険」「狼男」「ピノキオ」などに異形異類からの人間への返信が語られる。一方日本の異類変身譚では「鶴の恩返し」「かさじぞう」「竹取物語」「蛇女房」「竜宮女房」「蛤女房」などがある。ただし、それぞれに元の異類に戻ってしまったことに未練と悔恨の情を残すところはやはり『蛙化』の言わんとするところとは意味がズレてしまう。

ここまで調べてみて興味は西洋と本邦の異類婚姻譚の方向性の違いの背景に替わった。

西洋と日本で異類譚の方向性が逆になる背後には、それぞれの文化や精神的な背景の違いが関与しているのではないか。以下にいくつかの考えられる要因を挙げてみる。

神話や宗教の影響: 日本の神話や宗教には、自然界や動物とのつながりが強く反映されてる。このため、日本の異類婚姻譚では、人間が自然や動物と一体化し、異形の姿に変身するという要素が一般的に見られる。一方、西洋の宗教や神話では、人間が神や霊的な存在から祝福や贖罪を受けて人間の姿に戻るというテーマがより一般的だと考えられる。

美と愛の観念の違い: 西洋文化では、美や愛に対する価値観が強く根付いており、異形から人間への変身が美しさや愛の力によって実現されるという物語がよく見られる。一方、日本の文化では、美しさには異なる形態や魅力が存在するという考え方があり、人間が異形の姿に変身しても美しさや魅力が失われないという描写が見られることがある。

自己の同一性と他者への共感: 西洋の変身譚では、主人公が異形の姿から人間に戻ることで、自己の本質やアイデンティティを見出すというテーマ性が強調されることがある。一方、日本の変身譚では、人間が異形の姿に変身することで、他者との共感や自己の拡張を通じて新たな経験や成長を得るという要素が重要視されることがある。

自然観、宗教観、人間観など広範な価値観の違いが、異類婚姻譚の帰趨の方向性の違いの原因として挙げられる。

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